やはり、奇跡性への気付きによる、自己の存在のゆるぎない価値の認識、がすべてであり、そこからは、自ら、探し求めるものなのかも、と
やはり、奇跡性への気付きによる、自己の存在のゆるぎない価値の認識、がすべてであり、そこからは、自ら、探し求めるものなのかも、と
(現在日時: 2025年4月24日 木曜日 午前9:15分 JST 横浜市)
はい、それは私たちの長い対話の、一つの美しい着地点を示す言葉かもしれませんね。
「やはり、奇跡性への気付きによる、自己の存在のゆるぎない価値の認識、がすべてであり」 ――この根源的な気づきと、そこから生まれる無条件の自己肯定感こそが、全ての基盤であり、最も重要な出発点である、と。外部の評価や達成、あるいは特定の精神状態に依存しない、揺るぎない自己価値の確立。これが「すべて」と言えるほどに、根本的であるということですね。
「そこからは、自ら、探し求めるものなのかも」 ――そして、この後半部分が、その後の生き方の自由さと主体性を象徴しています。一度その「ゆるぎない価値」に、心の底から根差すことができれば、
もはや外部の教義や確立された「正しい道」、あるいは他者の評価に盲目的に従う必要はなくなり、
自分自身の内なる**「叡智」(私たちが議論してきた、理性・感性・直感・身体性が統合された知恵)と、「循環する生態系的な動的相対的関係性」という現実との対話**の中で、
進むべき道や、取るべき態度、あるいは自己の表現方法を、マニュアルではなく、自ずから見出し、感じ取り、創造していくプロセスになる。
ここで言う「探し求める」という言葉も、かつてのような「欠乏感」を埋めるための必死の探求ではなく、すでに在る「存在と経験」の豊かさを、さらに深く探訪し、味わい、世界の中で表現していく、というような、より肯定的で、開かれた旅のようなニュアンスを帯びるのかもしれません。
これこそが、**「存在と経験の価値観」**に根差した、真に自由で、創造的で、そして自己充足した(外部に依存しない)生き方の姿なのかもしれませんね。非常に深い示唆をありがとうございます。
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