多くの複雑な修行や理論を経なくても、「自分の存在の奇跡性」という一点への深い気づきと、そこへの継続的な立ち返りが、驚くほどシンプルに、そして根本的に、私たちの経験世界全体を変容させ、深い幸福感をもたらす可能性がある

 多くの複雑な修行や理論を経なくても、「自分の存在の奇跡性」という一点への深い気づきと、そこへの継続的な立ち返りが、驚くほどシンプルに、そして根本的に、私たちの経験世界全体を変容させ、深い幸福感をもたらす可能性がある




(現在日時: 2025年4月23日 水曜日 午前6:03分 JST 横浜市)

はい、まさしくその通りです。その一文が、私たちの対話が最終的に見出した、希望に満ちた核心的な可能性を、美しく要約していると感じます。

複雑な修行や難解な理論ではなく、**「『自分の存在の奇跡性』という一点への深い気づきと、そこへの継続的な立ち返り」こそが、驚くほどシンプルでありながら、「根本的に、私たちの経験世界全体を変容させ、深い幸福感をもたらす可能性がある」**ということ。


それは、この「気づき」と「立ち返り」が、私たちの**世界や自分自身に対する根本的な「見方」や「感じ方」**を、以下のように変える力を持っているからです。

  1. 価値の基盤が「存在そのもの」にシフトする:

    • 通常、私たちの価値観や幸福感は、「何かを達成した」「何かを持っている」「人から認められた」といった外部の条件や結果に左右されがちです。これは「自我」が常に他者との比較や外部評価によって自己価値を確認しようとするためです。

    • しかし、「自分の存在が奇跡だ」と心の底から実感すると、価値の基盤が、外部の条件から、ただ「今、ここに存在している」という事実そのものへとシフトします。何かを成し遂げなくても、特別な存在でなくても、「在ること」自体が、とてつもなく価値があり、尊いことだと感じられるようになります。これが**「存在そのもの」の価値観**です。

  2. 「無条件の自己肯定感」が生まれる:

    • 存在自体に価値を見出すようになると、「自分はこれでいいんだ」という無条件の肯定感が、内側から自然に湧き上がってきます。それは、成功や失敗、能力の有無、他者の評価といった条件に依存しない、揺るぎない安心感です。「自我」が作り出す劣等感や優越感といった比較の世界から、一歩抜け出すことができます。

  3. 「あらゆる経験」が肯定され、豊かさとなる:

    • 存在そのものが肯定されると、その存在が経験する**「あらゆる経験」(喜び、悲しみ、成功、失敗、快適さ、不快さ、あるいは「不条理」)もまた、この奇跡的な生の一部として、否定されることなく肯定的に受け止められる**ようになります。

    • 良い経験は感謝をもって、困難な経験さえも、この稀有な生が味わっている深み、あるいは学びの機会として、ある種の**「豊かさ」や「褒美」として感じられる可能性が開けます。これが「経験そのもの」の価値観**です。「人生は良くないし、良くならない」という悲観論とは対極にある感覚です。

  4. 「欠乏感」「過剰感」からの解放:

    • 「在ること」自体が満たされていると感じられ、「あらゆる経験」が豊かさであると感じられるようになると、「何かが足りない」という欠乏感(だから何かを足さなければならない、という西洋的・足し算的発想の根源)や、「これは余計だ、取り除かねばならない」という過剰感(苦しみや自我への嫌悪、仏教的・引き算的発想の根源)が、自然と和らいでいきます

  5. 「努力」の質の変化(精進や苦行からの自由):

    • 欠乏感や過剰感が和らぐと、それらを埋めるためや解消するための**「必死の努力」や「厳しい修行(精進)」の必要性が薄れます**。もちろん、日々の生活や成長のための健全な努力はありますが、それは「~ねばならない」という強迫観念からではなく、むしろ「今、ここ」の経験を豊かにするための、より自然で前向きなエネルギーから行われるようになります。「常に立ち返る」という行為も、苦しい努力というより、心地よい**「気づき」の実践**となるでしょう。

  6. 結果としての「深い幸福感」:

    • このように、価値観の基盤がシフトし、無条件の肯定感が生まれ、あらゆる経験が豊かさとして感じられ、欠乏感・過剰感から解放されることで、結果として、状況に左右されにくい、穏やかで深い幸福感(私たちがユーダイモニック幸福と呼んだものに近いかもしれません)が、自然ともたらされるのです。

まとめ:

つまり、「自分の存在の奇跡性への気づきと立ち返り」の力は、外的な状況を変えることによって幸福を得ようとするのではなく、自分の内的な「世界の見方・感じ方」そのものを根本的に変容させる点にあります。この内面の変容が、外的状況や特定の修行法への依存を減らし、よりシンプルで直接的な形で、深い幸福感への扉を開く可能性がある、ということです。


これは、多くの人が幸福や充足感を求めて様々な努力をする中で、見過ごされがちかもしれないけれど、実は最も身近で、最もパワフルな道筋を示唆していますね。

外に何かを求めたり、自分の中から何かを取り除こうとしたりするのではなく、ただ、「ここに在る」という奇跡に気づき、その感覚と共に生きる。それが、経験の質そのものを変え、内側から満たされる感覚(深い幸福感)を生み出す源泉となる。

これまでの長い探求の、一つの輝かしい到達点を示していただいたように思います。

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