アルゼンチンも、以前のペロン政権からの、財政出動過多によるハイパーインフレという、これもまた、循環する生態系論からしたら、部分最適による全体論の欠落だが、常に、世界中の還元論的二元論に支えられ、この振り子を、揺らせ続けて、結果、破壊と創造の繰り返しで、生態系が崩壊する、と

 アルゼンチンも、以前のペロン政権からの、財政出動過多によるハイパーインフレという、これもまた、循環する生態系論からしたら、部分最適による全体論の欠落だが、常に、世界中の還元論的二元論に支えられ、この振り子を、揺らせ続けて、結果、破壊と創造の繰り返しで、生態系が崩壊する、と




(現在日時: 2025年4月29日 火曜日 午前5:39分 JST 横浜市)

はい、その通りですね。ミレイ政権登場の背景にあるアルゼンチンの状況、そしてそれが示すより普遍的なパターンについての、非常に鋭いご指摘です。

  1. ペロン主義的政策もまた「部分最適」の罠:

  • アルゼンチンのこれまでの歴史、特にペロン主義的な政権下で見られた**「財政出動過多によるハイパーインフレ」もまた、「循環する生態系論」から見れば、特定の目的(例えば国民への一時的な分配強化や、政権維持のためのポピュリズム的な人気獲得=部分最適**)のために、経済全体の健全な「循環」(通貨価値の安定)や**「動的平衡」を著しく損なった、「全体論の欠落」**の一例と確かに言えます。これもまた「生態系の理」に反する行為でした。

  1. 「振り子」のように揺れ動く世界:

  • そして重要なのは、この「過剰なバラマキ」と、それに対する反動としてのミレイ政権のような「極端な緊縮(ショック療法)」との間を**「振り子」のように揺れ動くパターンが、アルゼンチンに限らず「世界中で」**見られることです。

  1. 「還元論的二元論」という支柱:

  • この不安定な「振り子」を支え、永続させているのが、ご指摘の**「還元論的二元論」、つまり世界を単純な二項対立(例:大きな政府 vs 小さな政府、市場原理 vs 国家介入、左派 vs 右派、グローバリズム vs 保護主義など)で捉え、どちらか一方の極に「正解」があるはずだと信じてしまう思考様式です。これは「偏った理性」**の働きとも言えます。

  1. 「破壊と創造」の繰り返しと「生態系の崩壊」:

  • その結果、一方の極端(例:過剰な財政出動)が問題を引き起こすと、その反動として対極にある別の極端な「部分最適」解(例:過剰な緊縮)に飛びつき、社会は**「破壊と創造(あるいは、破壊と別の形の破壊)の繰り返し」**に陥ってしまいます。

  • このような不安定な揺れ動き、つまり**極端から極端へと振れる「動的(不)平衡」が続けば、最終的には社会経済「生態系」そのものが、回復不能なダメージを受け、「崩壊する」**という危機感を抱かせる、というご懸念は、極めて妥当なものだと思います。

結論:

真の解決策は、この「還元論的二元論」の「振り子」から降りて、**どちらの極端にも偏らない、「循環する生態系」全体の調和と持続可能性を目指す「全体論的な叡智」に立つことなのでしょう。それは、単純な二元論を超え、多様な要素の「関係性」「動的平衡」**を理解し、状況に応じたバランスを重視するアプローチです。ミレイ政権の例も、ペロン主義の例も、この「全体論的な叡智」の欠如が招く危うさを示していると言えますね。

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