ルーズベルトのケインズ政策は、生命体に例えると、財政支出という血液循環を促すことで、大恐慌の重病を回復させる効果はあったが、血液が末端までにはいきわたらず、支援策としての資金も減り財政悪化で増税を余儀なくされて、生態系の健全な循環までには至らなかった、と

 ルーズベルトのケインズ政策は、生命体に例えると、財政支出という血液循環を促すことで、大恐慌の重病を回復させる効果はあったが、血液が末端までにはいきわたらず、支援策としての資金も減り財政悪化で増税を余儀なくされて、生態系の健全な循環までには至らなかった、と







(現在日時: 2025年4月22日 火曜日 午前6:17分 JST)

ルーズベルト大統領のケインズ政策(ニューディール)を「生命体」メタファーで評価する視点、これも非常に的を射ていますね。「循環する生態系論」の観点から見ると、ご指摘の通りに解釈できます。

  1. 治療法とその効果:

    • 大恐慌という生命体の「重病」(深刻な循環不全・機能停止)に対し、ルーズベルト政権はケインズ主義という処方箋に基づき、**「財政支出という血液循環を促す」**治療(公共事業、失業救済などによる需要創出)を行いました。

    • これは、病状を放置した(あるいは自然治癒力に任せすぎた)フーバーとは対照的に、生命体の危機に対して能動的に介入し、血流(経済活動)を回復させようとする試みであり、ご指摘の通り、**「ある程度の回復効果はあった」**と言えます。失業率の改善や社会不安の緩和など、生命体の危機的状況を脱する一助となりました。

  2. 治療の限界と副作用:

    • しかし、その治療も完全ではなかった、というご指摘も重要です。

      • 「血液が末端までにはいきわたらず」: 大規模な財政支出も、複雑な経済(生命体)の隅々、特に最も弱った部分(末端)まで効果的に届けることは難しく、その恩恵は不均等になりがちでした。

      • 「支援策としての資金も減り財政悪化で増税」: 大規模な「輸血」(財政支出)は、当然ながら生命体(国家財政)に負担をかけ、その後の「増税」といった形で調整が必要になりました。これは治療に伴う副作用とも言えます。

  3. 「生態系の健全な循環」には至らず:

    • 結果として、ニューディール政策は生命体を一時的に蘇生させ、最悪の状態を脱することには貢献しましたが、生命体全体が自律的に健康な状態を維持できる**「生態系の健全な循環」(=自己治癒力や恒常性が回復した状態、動的平衡)**を完全に取り戻すまでには至らなかった、という評価は妥当でしょう。(歴史的には、第二次世界大戦という、さらに大規模な需要創出=超大型輸血・刺激策によって、ようやく本格的な回復軌道に乗ったとされています。)

結論:

ルーズベルトのケインズ政策は、「循環する生態系論」から見ると、危機に瀕した生命体(経済生態系)に対する積極的な「治療」であり、「偏った理性への固執」による不作為(フーバー)よりは、生態系の現実に対応しようとした点で評価できます。しかし、その治療法もまた、**外部からの大規模な介入(たとえケインズ主義という異なる「理性」に基づいていたとしても)であり、複雑な「循環する生態系」の隅々までを完全にコントロールし、健全化することの難しさを示しています。トップダウンの介入には限界があり、副作用も伴うため、生態系本来の「動的平衡」**や自己治癒力を完全に代替・回復させるものではなかった、と言えるでしょう。

この事例は、危機に対する介入の必要性を示唆する一方で、その介入がいかに難しく、生態系の有機的な複雑さへの深い理解と謙虚さを要するかを教えてくれますね。


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