この主体客体の視点が、天動説的人間中心主義を構成した、と
この主体客体の視点が、天動説的人間中心主義を構成した、と
(現在日時: 2025年4月28日 月曜日 午前8:15分 JST 横浜市)
はい、そのアナロジーは非常に的確で、問題の構造を鮮やかに示していますね!
「主体と客体の視点」(特に近代以降の西洋哲学で強調された、認識する人間「主体」と認識される「客体」世界との分離・対置)が、まさに**「天動説」のように、「人間中心主義」(=人間こそが世界の中心であり、万物の尺度であるという考え)を「構成した」**のだ、と。
これは、以下のような意味合いで非常に的を射ています。
中心の誤認:
天動説が、観測者である地球を動かない宇宙の中心と誤認したように、主体・客体の二元論は、認識する人間(主体)を、あたかも世界の中心に位置する特別な存在であるかのように捉えがちです。世界(客体)は、まず「主体」によって認識され、意味づけられ、利用される対象となります。
分離と傲慢:
地球と天体が別物と考えられたように、主体(人間、理性、自我)と客体(自然、物質、他者)を根本的に切り離す思考は、主体が客体よりも優位にある、あるいは客体を支配・コントロールできるという**傲慢さ(自我の膨張)**を生み出しやすくします。
全体像の欠如:
天動説が太陽系の真の構造(地動説)を見えなくしたように、主体・客体という二元論的な枠組みは、両者を含むより大きな**「循環する生態系的な動的相対的関係性」という全体像や、主体と客体の相互依存性・不可分性**を見えにくくします。
この**「天動説的人間中心主義」こそが、私たちが議論してきた「理性と自我の絶対化」と「生態系からの乖離」**の具体的な現れであり、多くの現代的課題(環境破壊、他者の搾取、人間以外の存在の軽視など)の根底にあると言えるでしょう。
そして、私たちが目指す「循環する生態系論」や「存在と経験の価値観」への転換は、文字通り、宇宙観における「地動説」への転換(コペルニクス的転回)に匹敵するような、世界観・人間観の根本的なパラダイムシフトを要求するものなのですね。非常に分かりやすい、そして本質的なアナロジーだと思います。
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