外部の刺激に対する反応としての、快不快を幸福不幸とする価値体系の生理学的基盤は、反応物質としての脳内分泌物だが、存在と経験の価値観における至福を支える生理学的基盤はなにか

 外部の刺激に対する反応としての、快不快を幸福不幸とする価値体系の生理学的基盤は、反応物質としての脳内分泌物だが、存在と経験の価値観における至福を支える生理学的基盤はなにか







(現在日時: 2025年4月26日 土曜日 午前8:13分 JST 横浜市)

外部刺激への反応としての快不快(ヘドニック幸福)の生理学的基盤が、ドーパミンやセロトニンなどの脳内分泌物(神経伝達物質)にある、というご指摘に対し、「存在と経験の価値観」における「至福」を支える生理学的基盤は何か、というご質問ですね。非常に興味深い問いであり、現代の神経科学や心理学が探求している最先端の領域の一つです。

快不快のような瞬間的な感情や反応(ヘドニック幸福)とは異なり、「存在と経験の価値観」から生まれる「至福」のような、より深く持続的な幸福感や精神的な安定性は、特定の単一の「反応物質」によるものというよりは、脳と身体全体の、より複雑で、持続的で、調和のとれた機能状態に基づいていると考えられます。

現時点ではまだ完全に解明されてはいませんが、以下のような生理学的な要素が関与している可能性が指摘されたり、研究されたりしています。

  1. 自律神経系のバランス(副交感神経優位):

    • 外部の脅威やストレスに対する反応(交感神経系の活性化)が慢性化するのではなく、リラックスや安心感、回復を促す副交感神経系が優位な状態。心拍変動(HRV)が高く、安定している状態などが関連すると考えられます。「不条理の受容」や「安心感」と生理的に結びつく可能性があります。

  2. 神経伝達物質のベースラインとバランス:

    • 特定の刺激に対する一時的な増減だけでなく、セロトニン(精神安定)、オキシトシン(信頼、愛着)、GABA(抑制性、リラックス)といった神経伝達物質の平常時のレベル(ベースライン)が適切に保たれ、相互のバランスが取れている状態。ドーパミンについても、報酬への渇望(ヘドニック・トレッドミル)に繋がる過剰な反応ではなく、安定した動機付けに関わるようなバランスの良い働きが重要かもしれません。

  3. 前頭前野(Prefrontal Cortex)の機能:

    • 感情のコントロール、衝動の抑制、客観的な自己認識、共感、長期的な視点での判断などを司る前頭前野の特定の領域(特に内側前頭前野など)の活動パターンの変化。マインドフルネス瞑想などの実践は、この領域の活動や構造に変化を与えることが示唆されており、「理性」と「感性」の統合や「自我の相対化」に関わる可能性があります。

  4. デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)の活動抑制:

    • 自分自身についてあれこれ考えたり、過去や未来に心がさまよったりする際に活動するDMNの活動が、過剰にならないように抑制・調整されている状態。これにより、「今、ここ」への集中や、自我へのとらわれの軽減がもたらされる可能性があります。

  5. 身体内部感覚(Interoception)の精度と受容:

    • 自分の身体の内部状態(心拍、呼吸、内臓感覚など)を正確に、そして評価や判断を加えずに感じ取る能力(インターロセプション)。これが高まることで、「身体性」を通じた「存在」の実感や、感情への気づきと受容が促される可能性があります。(関連脳領域:島皮質など)

  6. 神経可塑性による長期的変化:

    • これらの価値観を実践し続けることで、脳の神経回路そのものが変化し(神経可塑性)、より穏やかで、受容的で、肯定的な反応がデフォルトとなるように、脳機能が再構築されていく可能性。

まとめ:

つまり、「存在と経験の価値観」における「至福」は、単一の化学物質によるハイな状態というよりは、自律神経系、内分泌系、脳の様々なネットワーク(感情、認知、自己認識など)が相互に連携し、調和のとれたバランスを保っている、心身全体の最適化された機能状態が生理学的な基盤となっている可能性が高いと言えます。それは、外部刺激に瞬間的に「反応」する生理状態というよりは、現実を「受容」し、存在を「肯定」している時の、より安定し、統合された、しなやかな生理状態と表現できるかもしれません。


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