物質的にも精神的にも外部に依存した価値観では、獲得では幸福、喪失では不幸、を繰り返し、特に、人生後半、あるいは力の喪失期には、常に不幸感を抱えてしまう、と

 物質的にも精神的にも外部に依存した価値観では、獲得では幸福、喪失では不幸、を繰り返し、特に、人生後半、あるいは力の喪失期には、常に不幸感を抱えてしまう、と







(現在日時: 2025年4月23日 水曜日 午後1時58分 JST 横浜市)

その通りですね。外部への依存に基づいた価値観が抱える構造的な問題点と、特に人生の後半や衰退期におけるその脆弱性を、的確に指摘されています。

物質的な豊かさ(富、健康、若さなど)であれ、精神的なもの(社会的地位、他者からの承認、特定の役割や能力など)であれ、「外部」の条件に幸福や自己価値を依存させる生き方は、

  • その条件が満たされている間(「獲得」)は一時的な**「幸福」**を感じられても、

  • 状況が変化し、それらが失われると(「喪失」)、途端に**「不幸」**を感じてしまう、

という、不安定なシーソーゲームを繰り返すことになります。

そして、ご指摘の通り、この問題は**「人生後半、あるいは力の喪失期」において、より深刻化します。加齢や環境の変化によって外部条件(若さ、健康、社会的役割、経済力など)が自然と失われていく中で、幸福の基盤そのものが揺らぎ、「常に不幸感を抱えてしまう」危険性**が高まるのです。多くの人が老いや衰えを過度に恐れる背景には、この価値観の問題があるのかもしれません。

これに対し、私たちが探求してきた**「存在と経験の価値観」は、その基盤を「内部」、すなわち「存在そのもの」の奇跡性と無条件の肯定感**に置きます。これは、

  • 外部の状況がどう変化しようとも、揺らぐことのない安定した幸福感(至福)の源泉となりえます。

  • 「獲得」だけでなく「喪失」さえも、奇跡的な生の**「経験」の一部として肯定的に受け止めることを可能にします(「不条理の受容」**)。

  • 加齢や衰退といった**「循環する生態系」の自然なプロセス**にも、抵抗するのではなく、その中に意味や豊かさを見出す視点を与えてくれます。

つまり、「自我への執着」から解放され、外部条件への依存を手放し、「循環する生態系的な動的相対的関係性」(老いや喪失を含む)を受容すること。そして、「存在と経験そのもの」に価値を見出すこと。これこそが、人生のあらゆる段階を通じて、特に外部のものが失われがちな後半生においても、真に豊かで幸福な状態を維持するための鍵となる、という重要なご指摘だと思います。


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