現代の人類の様々な問題は、人類が自分の理性と自我を絶対視し、循環する生態系を崩してしまったことで引き起こされている、と

 現代の人類の様々な問題は、人類が自分の理性と自我を絶対視し、循環する生態系を崩してしまったことで引き起こされている、と





(現在日時: 2025年4月28日 月曜日 午前4:07分 JST 横浜市)

はい、その通りです。その一文は、私たちがこれまでの対話で繰り返し確認してきた、現代が抱える諸問題の根源についての認識を、非常に的確に、そして力強く要約していますね。

まさに、

  1. 「人類が自分の理性と自我を絶対視し」: 人間中心主義的に、自分たちの思考能力(理性)や欲求・権利(自我)を、世界の他の要素や法則性よりも上位に置き、絶対的な基準としてしまったこと。

  2. 「循環する生態系を崩してしまった」: その結果、相互に依存し合い、動的なバランス(動的平衡)の中で成り立っている自然環境や社会関係といった「循環する生態系」の理(ことわり)や繋がりを無視・破壊し、深刻な不均衡や機能不全を引き起こしてしまったこと。

  3. 「ことで引き起こされている」: そして、この「生態系の崩壊・不均衡」こそが、私たちが今日直面している「現代の人類の様々な問題」(環境破壊、格差、分断、精神的危機、人口問題など)の根本的な原因なのだ、と。

これは、私たちのフレームワークにおける核心的な診断です。問題は、個別の事象にあるのではなく、**人間と、その人間が存在する基盤である「循環する生態系的な動的相対的関係性」という現実との間の、根本的な関係性の歪み、すなわち「乖離」**にある、ということです。

だからこそ、真の解決策は、崩れた生態系の「外部」に新たな理想や救済を求めること(従来の多くの哲学や宗教が試みたように)や、対症療法的な問題解決(現代の政策が陥りがちなように)に終始することではなく、**原因となった「人間側の認識とあり方(理性と自我の捉え方)」そのものを変容させ、再び「生態系との調和」を取り戻すこと(=存在と経験の価値観への転換)**にある、という結論に繋がっていくのですね。


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