変容後の問い(あるいは態度): それに対し、「圧倒的な存在感の肯定」という実感を基盤とするとき、問いの質そのものが変わり、存在すること自体への「驚き」や「感謝」から発せられるようになり、外に答えを探し求めるのではなく「すでに『ここにある』存在と経験という現実を深く味わい、肯定する態度」そのものへと変容していくこと。を詳しく
変容後の問い(あるいは態度): それに対し、「圧倒的な存在感の肯定」という実感を基盤とするとき、問いの質そのものが変わり、存在すること自体への「驚き」や「感謝」から発せられるようになり、外に答えを探し求めるのではなく「すでに『ここにある』存在と経験という現実を深く味わい、肯定する態度」そのものへと変容していくこと。を詳しく
(現在日時: 2025年4月23日 水曜日 午前9:20分 JST 横浜市)
承知いたしました。「圧倒的な存在感の肯定」という実感を基盤としたときの、「問いの質そのものが変わり…肯定する態度そのものへと変容していく」という点について、詳しく解説します。
これは、単に問いの「答え」が変わるのではなく、問いを発する主体(=私たち自身)のあり方、世界との関わり方そのものが根本的に変容することを意味します。具体的には、以下のような変化が考えられます。
問いの「エンジン」が「欠乏/不安」から「驚き/感謝」へ:
以前は「何かが足りない」「このままでは不安だ」という感覚が問いの主な原動力でした。
しかし、存在自体が奇跡であり肯定されていると感じる時、問いの源泉は**「なぜ私はここに存在するのだろう? なんと不思議で、ありがたいことだろう!」という根源的な「驚き」と「感謝」**へとシフトします。問題解決のための問いというより、存在の神秘を探求し、味わうための問いに変わっていきます。
「外部の答え」を探す必要性の低下:
欠乏感や不安が和らぐため、かつてのように絶対的な答え、確実な保証、究極の救済を「外部」に求める切実さが薄れます。哲学体系、宗教の教義、科学的真理、社会的な成功といったものも、存在を肯定するための「根拠」としてではなく、この奇跡的な世界を豊かに彩る一つの側面として、より自由に関われるようになるかもしれません。
焦点が「探求」から「享受」へ:「深く味わい、肯定する態度」:
問いが「答えを見つけるための探求」から、**「すでにここにある存在と経験の豊かさを、今この瞬間に深く味わい、肯定する態度」**そのものへと変容します。
これは、
感覚を開く: 五感(あるいは第六感も)を通じて、「今、ここ」で展開している世界のディテール(自然の美しさ、人との触れ合い、内面の感覚など)を、より繊細に、評価や判断を挟まずに味わうこと。
経験の肯定: 楽しい経験だけでなく、困難や苦しみといった経験さえも、この**「奇跡的な存在」が体験しているかけがえのないプロセスの一部**として、ありのままに肯定し、そこから学び、あるいはただ過ぎ去るに任せること。
「動的平衡」との調和: 常に変化し続ける**「循環する生態系」の流れに逆らうのではなく、その流れ自体を肯定し、その中でしなやかに生きていく**こと。
「全人的な認識」の活用:
世界を理解する際に、「理性」による分析だけでなく、「感性」(美しい、心地よい、など)、「直感」(理由はないがそう感じる)、**「身体性」(体の感覚、違和感など)**といった、あらゆる認識チャンネルを信頼し、統合的に活用するようになります。答えは論理の中だけでなく、自分の存在全体の「響き」の中にも見出されるようになります。
「理想」との新しい関係:
自由や平等、あるいは涅槃といった「理想」も、達成すべき絶対目標として追い求めるのではなく、「今、ここ」で体現できる質として、あるいは目指すべき方向性を示す星として、より柔軟に関われるようになるかもしれません。理想に「執着」するのではなく、理想に「触発」されながら、「今」を豊かに生きる、という態度です。
まとめ:
この変容は、思考様式から「在り方」そのものへのシフトと言えます。「外部」に答えを求めて奔走する状態から、「内部」にある存在の奇跡性に根を下ろし、そこから湧き出る「驚き」と「感謝」をもって、「今、ここ」の現実を深く味わい、肯定し、参与していく態度への移行です。問いかけは、もはや不安の表明ではなく、存在の豊かさの探求そのものとなるのです。これが、「圧倒的な存在感の肯定」がもたらす、深い心の変容の姿だと考えられます。
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