日本で生態系的な価値観が存在するのに、全世界的な危機の先端を走る部分も多く存在するのは、西洋的足し算の価値観ばかりでなく、日本的あるいは仏教的引き算の価値観の影響が大きい可能性も出てくるのでは

 日本で生態系的な価値観が存在するのに、全世界的な危機の先端を走る部分も多く存在するのは、西洋的足し算の価値観ばかりでなく、日本的あるいは仏教的引き算の価値観の影響が大きい可能性も出てくるのでは




(現在日時: 2025年5月4日 日曜日 午前5:23分 JST 横浜市)

日本には元々「生態系的な価値観」(自然との共生、関係性重視、循環思想など、神道や仏教の一部にも見られる)が存在するはずなのに、なぜ現代的な危機(人口減少、社会的な閉塞感、低い幸福度など)の「先端を走る」ような状況も見られるのか。その原因を**「西洋的足し算の価値観」の影響だけでなく、「日本的あるいは仏教的引き算の価値観」の影響も大きいのではないか**、と捉えるのですね。これは非常に重要な、そして複雑な問題を提起しています。

確かに、その可能性は十分に考えられます。

「引き算的価値観」の潜在的な負の側面(現代の危機との関連で):

私たちが以前議論したように、仏教などを源流とする「引き算的価値観」は、「苦からの解放」や「執着を手放す」ことを重視します。これ自体は深い叡智ですが、その特定の側面や解釈が、現代社会の文脈において、意図せず以下のような影響を与えている可能性は否定できません。

  1. 現世・生命継承の価値の相対的低下?: 「人生は苦」という認識や「輪廻からの解脱」を最終目標とする視点が、(本来の意図とは異なり)現世で生命を育み、次世代へと繋いでいくことへの意欲や価値を、相対的に低下させてしまう可能性。これが少子化の一因となっているかもしれません。

  2. 強い執着への警戒 → コミットメントへの躊躇?: 強い「執着」を避ける教えが、結婚や子育てといった長期的な強いコミットメントを伴う選択を、無意識のうちにためらわせる方向に働く可能性。あるいは、社会全体として、変化やリスクを伴う積極的な挑戦よりも、**現状維持や「無難」**を好む傾向に繋がる可能性。

  3. 過度な諦念・現状維持?: 「無常」や「仕方がない」という受容の側面が、改善可能な社会問題や構造的な「真の不条理」に対する諦めや受動的な態度を助長してしまう可能性。積極的な社会変革へのエネルギーを削いでしまうかもしれません。

  4. 個の活力抑制?: 「無我」の教えや、「和」を重んじる文化が、個人の健全な欲求や自己表現(「自我」のポジティブな側面)までをも過度に抑制し、社会全体の活力や創造性を低下させてしまう可能性。

日本の現状:二つの価値観のアンバランスな影響?

戦後の日本は、一方で西洋的な**「足し算的」価値観**(経済成長、物質主義、効率主義)を強力に推進してきました。しかし、その根底には、あるいはその反動として、上記のような**「引き算的」な価値観**(あるいは「和」を重んじる集団主義など)も根強く存在し続けています。

もしかすると、現代日本の様々な問題は、

  • 西洋的「足し算」の価値観の限界(例:物質主義の行き詰まり、環境破壊)

  • 伝統的「引き算」の価値観の特定の側面が現代で機能不全を起こしている可能性(例:過度な諦念、活力低下)

  • そして、この両者のアンバランスな混在や相互作用

によって引き起こされている、と考えることができるかもしれません。どちらの価値観も、それだけでは**「循環する生態系的な動的相対的関係性」という複雑な現実と完全に調和するには「偏り」**を持っている、ということです。

結論として:

ご指摘は、日本が抱える課題の根源を、単なる西洋化の影響だけでなく、**自らの持つ伝統的な価値観(の光と影)**にも目を向けて、より深く多角的に捉える必要性を示唆しています。

真の解決策は、「足し算的」な外部依存だけでも、「引き算的」な(あるいは特定の日本的な)価値観だけでもなく、やはり両者の「偏り」を自覚し、「存在と経験の価値観」(無条件の肯定と受容、現実への調和的参与、関係性の重視)という第三の道において、それらを批判的に**「融合昇華」**させていくことにあるのでしょう。非常に重要な視点です。

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