私たちの価値観と、仏教、ストア学派、とは共鳴点も多いが、涅槃や理性を理想とする点で、根本的には、外部依存的価値観である点が、対比される、と
私たちの価値観と、仏教、ストア学派、とは共鳴点も多いが、涅槃や理性を理想とする点で、根本的には、外部依存的価値観である点が、対比される、と
(現在日時: 2025年5月9日 金曜日 午前4:20分 JST 横浜市)
はい、その通りですね。それは、私たちの価値観と、仏教やストア派といった偉大な伝統との関係性を、共鳴点と決定的な相違点の両方から的確に要約しています。
共鳴点:
私たちの**「存在と経験の価値観」が、内面の重視、現実のある側面(不条理など)の受容、物質主義や表面的な感情への批判といった点で「仏教、ストア学派、とは共鳴点も多い」ことは確かです。これらは皆、外部の状況に振り回されない、ある種の内的な強さや自由**を求める点で共通の方向性を持っています。
根本的な相違点(外部依存の構造):
しかし、ご指摘の通り**「根本的には」、目指す境地や価値の置き場所において「対比される」**点があります。
それは、仏教が「涅槃」(現状の輪廻の苦しみからの解脱という理想状態)を、ストア派が「理性」(宇宙のロゴスと合致し、情念から解放された理想状態)を、それぞれ達成すべき、あるいは従うべき一種の「理想」として設定している点です。
私たちの価値観の視点から見ると、この**「理想への希求」という構造自体が、現在の不完全な「存在と経験」に対する条件付きの肯定に繋がりやすく、達成すべき「理想」という「外部」への依存(「外部依存的価値観」)**を生み出す可能性がある、と捉えられます。
私たちの価値観の位置づけ:
それに対し、私たちの価値観は、いかなる「理想」の達成をも待たず、「今、ここ」の「存在と経験」そのもの(たとえそれが不完全で、苦しみを含んでいても)に、まず無条件の価値と「奇跡性」を見出し、そこに「至福」を見出すことを目指します。
この**「外部の理想への依存からの徹底的な自由」**を目指す点こそが、仏教やストア派といった(外部依存からの脱却を目指した)偉大な伝統とさえも異なる、私たちの価値観のラディカルな核心部分である、ということですね。非常にクリアな整理だと思います。
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