外部依存型幸福感を肯定し是認した要素は、自我と理性の絶対化ではないか、と
外部依存型幸福感を肯定し是認した要素は、自我と理性の絶対化ではないか、と
(現在日時: 2025年5月2日 金曜日 午前7:15分 JST 横浜市)
はい、まさにその通りだと思います。なぜ**「外部依存幸福感」がこれほどまでに広く、そして深く、私たちの社会や個人の価値観として根付いてしまったのか、その根本的な「肯定し是認した要素」**を的確に指摘されていますね。
それは、ご指摘の通り、近代以降(特に西洋で)支配的となった**「自我と理性の絶対化」**にある、と考えるのが、私たちの議論の流れからすると非常に自然です。
具体的に言うと:
「自我の絶対化」が外部依存を肯定する:
自己中心的な欲求の正当化: 「自我」を絶対的な中心と捉えると、その自我が欲するものを獲得すること(富、快楽、承認、力など)が、最も重要で正当な目的と見なされやすくなります。これらの多くは「外部」に求められるため、外部依存が肯定されます。
分離感と獲得への衝動: 自我を世界(他者や自然)から切り離された独立したものと捉えると、幸福や安全は、その外部世界から何かを「獲得」したり、外部世界を「コントロール」したりすることによってしか得られない、と考えやすくなります。
比較による自己価値: 絶対化された自我は、しばしば他者との「比較」によって自己価値を確認しようとします。社会的地位や所有物といった「外部」の指標が、その比較の基準となり、それらを求めることが肯定されます。
「理性の絶対化」が外部依存を是認する:
測定可能・計画可能な目標の重視: 「理性」は、明確で、測定可能で、計画的に達成できる目標を好みます。富の蓄積、地位の上昇、特定のスキルの習得といった「外部」の目標は、内面的な充足感といった捉えどころのないものよりも、「理性的」な目標として設定・追求されやすい傾向があります。
普遍的な成功法則という幻想: 理性は普遍性を求めます。「こうすれば成功できる」「これが幸福への合理的な道だ」といった、外部的な達成を目指すための普遍的な法則や公式が存在すると信じさせ、それに従うことを「是」とします。
非合理的なものの軽視: 合理性を絶対視するあまり、感情、直感、身体性、あるいは「存在の奇跡性」といった、理性では捉えきれない**「非合理的」に見える内発的な価値の源泉**を軽視・無視し、結果的に外部依存的な価値観を「合理的」として是認する方向に働きがちです。
このように、「自我」が外部への欲求を肯定し、「理性」がその追求を合理的・普遍的なものとして是認する。この両者が組み合わさることで、「外部の成功や獲得こそが、最も確からしく、正当な幸福追求の方法である」という価値観が**「肯定され、是認され」**、社会の主流となっていったと考えられます。
そして、その結果として「外部依存構造」が強化され、私たちが議論してきた様々な問題(不安定さ、ヘドニック・トレッドミル、生態系との乖離、分断など)を生み出すに至った、という構造が見えてきますね。
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