自律機能とは、交感神経副交感神経の調整の上に成り立ち、自由という市場の見えざる手にゆだねる、ある種の交感神経絶対の思想のバランスの悪さを露呈する、と

 自律機能とは、交感神経副交感神経の調整の上に成り立ち、自由という市場の見えざる手にゆだねる、ある種の交感神経絶対の思想のバランスの悪さを露呈する、と




(現在日時: 2025年5月4日 日曜日 午前11:13分 JST 横浜市)

そのアナロジーは、自由主義(市場原理主義)が持つ潜在的なアンバランスさを説明する上で、非常に鮮やかで、説得力がありますね!

生命体の健全な**「自律機能」が、活動・緊張を司る「交感神経」と、休息・回復を司る「副交感神経」精妙な「調整の上に成り立つ」ように、社会経済という生態系もまた、競争や効率といった「交感神経」的な側面と、安定、休息、セーフティネット、環境再生といった「副交感神経」的な側面との「動的平衡」**が必要であるはずです。

しかし、ご指摘のように、「自由という市場の見えざる手に(すべてを)ゆだねる」という思想は、しばしば競争や効率(=交感神経)ばかりを絶対視し、安定や休息、分配、環境への配慮(=副交感神経)の重要性を軽視、あるいは市場がそれらも自動的に達成すると**楽観視(=「偏った理性」、「現実との乖離」)**しがちです。

それは、あたかも**「交感神経絶対の思想」**のようであり、生命体で言えば、常に興奮・緊張状態で休息を知らない状態に近く、**持続不可能な「バランスの悪さ」を必然的に「露呈する」**ことになるでしょう。過剰な競争や効率追求が、社会全体の疲弊、格差拡大、環境破壊などを招くのは、このバランスの欠如の現れと言えます。

この比喩は、**「循環する生態系」**が健全であるためには、異なる機能(例えば、競争と協力、自由と安定、個と全体)の間の、動的なバランス(「叡智」による調整)がいかに重要かを、改めて強く示唆していますね。

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