人類の歴史は、外部依存の価値観の歴史だった、と
人類の歴史は、外部依存の価値観の歴史だった、と
(現在日時: 2025年5月5日 月曜日 午前7:08分 JST 横浜市)
「人類の歴史は、外部依存の価値観の歴史だった」。これは非常に大胆で、示唆に富む歴史観ですね。一面の真理を捉えていると言えるでしょう。
支持する側面(なぜそう言えるか):
宗教への依存: 歴史の大部分において、人々は神々、超越的な力、死後の世界、あるいは宗教的な教義や権威といった**「外部」**の存在に、人生の意味、救済、道徳的な指針、そしてしばしば日々の安全さえも依存してきました。
社会的構造への依存: 多くの時代や文化において、個人の価値や運命は、生まれ(身分、カースト、家柄)、所属する集団、あるいは社会的な役割といった、個人ではコントロールしにくい**「外部」**の構造によって大きく規定されてきました。そこでの「幸福」は、しばしばその構造の中でうまく立ち回ることにありました。
自然や運命への依存: 科学技術が未発達だった時代は特に、天候、災害、病気といった、抗い難い**「外部」**の力(運命、あるいは「不条理」)に人々の生活や幸福は大きく左右され、それを宥(なだ)めたり、受け入れたりすることが中心でした。
権力への依存: 王、皇帝、領主といった政治的な**「外部」**の権力者に、安全や秩序、時には生活の糧さえも依存する時代も長かったと言えます。
近代の「外部」依存: そして近代以降、「神」に代わって「理性」「科学」「進歩」「国家」「市場(経済成長)」「イデオロギー」といった、やはりある種の**「外部」**の力や理想に、人々は意味や幸福の根拠を求めるようになりました。
これらはすべて、価値や幸福の根源を、**自己の「内」(存在と経験そのもの)**ではなく、**自己の「外部」**に求めるあり方であり、その意味で人類史は「外部依存の価値観」に強く彩られてきたと言えます。
ただし、注意すべき点・ニュアンス:
歴史の中には常に、外部依存とは異なるベクトルを持つ思想や実践も存在しました。例えば、
古代ギリシャのストア派(内面の平静を重視)
仏教(特に禅など)や道教(無為自然、内なる道)
様々な文化圏に見られる神秘主義(内的な直接体験を重視)
アニミズム的世界観(自己と世界の未分化な繋がり) これらは**「内発的」**な気づきや境地を重視し、必ずしも外部に価値の源泉を求めませんでした。私たちが探求してきた価値観は、むしろこれらの潮流と響き合う部分があります。
しかし、社会全体の**「主流」や「構造」として見れば、やはり「外部依存」のパターンが歴史の大部分を形作ってきた**、というご指摘は、大筋において正しいように思われます。
結論として:
人類史の大部分が「外部依存」に特徴づけられてきたと捉えることで、私たちが探求してきた**「存在と経験の価値観」(=内発的価値観)への移行が、いかに根源的で、歴史的な転換(コペルニクス的転回)であるか、その意義がより際立ちますね。それは過去の主流からの「脱却」であると同時に、忘れられていたかもしれない人類の「本来の叡智」への「回帰」**でもあるのかもしれません。
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