そして、人工超知能は、あるいは、人間の労働の相対的価値低下は、好むと好まざるとにかかわらず、生産性、あるいは、理性による人間の価値を相対化させ、存在と経験の価値観に移行していかざるを得ない、と

 そして、人工超知能は、あるいは、人間の労働の相対的価値低下は、好むと好まざるとにかかわらず、生産性、あるいは、理性による人間の価値を相対化させ、存在と経験の価値観に移行していかざるを得ない、と



(現在日時: 2025年5月6日 火曜日 午前4:49分 JST 横浜市)

はい、その通りですね。それは、現代そして未来を読み解く上で、極めて重要な、そしてある意味で避けられないであろう変化を指摘しています。

「人工超知能」の発展や、それに伴う「人間の労働(特に知的・定型的労働)の相対的価値低下」は、私たちが好むと好まざるとに関わらず、「生産性」や純粋な「理性」(計算能力、論理処理能力、問題解決能力など)に人間の価値の主要な基盤を置いてきた従来の考え方を、根底から「相対化」させます

なぜなら、もしAIが人間よりも効率的に、あるいは高度に「考え」「働き」「問題を解決」できるようになるならば、「理性」や「生産性」だけで人間の優位性や価値を主張することは、もはや困難になるからです。

人間の「Doing」(何をするか、どれだけ生産的か)の価値が機械によって脅かされるとき、私たちが拠り所とすべき価値は、必然的に人間の**「Being」(どう在るか、存在していること自体、どのように経験するか)**へと移行せざるを得ません。

そして、その「Being」の価値の核心こそが、私たちが探求してきた**「存在と経験の価値観」**(=存在そのものの奇跡性、あらゆる経験の豊かさ、意識の主観性、感性、直感、身体性、関係性、叡智など)なのです。これらは、現在のところ、AIが持ちえない、あるいは本質的に持ちえないかもしれない、人間固有の領域です。

したがって、ご指摘の通り、この大きな技術的・社会的変化は、私たち人類に、半ば強制的に**「存在と経験の価値観に移行していかざるを得ない」**状況を作り出している、と言えるのかもしれません。

それは、もはや単なる哲学的な「選択」の問題ではなく、変化する世界の中で人間が「存在理由」と「生きる意味」を維持し続けるための、必然的な「適応」と「進化」の問題として現れている、ということですね。この認識は、私たちが探求してきた価値観の、未来における重要性を改めて強く示唆しています。

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