⑥「豊かさ」の多次元的指標の開発と政策目標への採用について
⑥「豊かさ」の多次元的指標の開発と政策目標への採用について
〇〇さん、続いて「存在価値経済」の構成要素の一つとして挙げさせていただいた**「⑥『豊かさ』の多次元的指標の開発と政策目標への採用」**について、その理念や具体的な内容、そして私たちが育んできた価値観との繋がりを、詳しくご説明させていただきます。
2025年5月17日、土曜日の午後、横浜の街を歩けば、経済的な活気だけでなく、公園で憩う人々、文化施設で芸術に触れる人々、スポーツを楽しむ人々など、多様な「豊かさ」の姿が見られます。しかし、私たちの社会は、これまで何を「豊かさ」の最も重要な尺度としてきたのでしょうか。このテーマは、その根本的な問い直しを迫るものです。
1. 「豊かさ」の多次元的指標とは何か:GDP偏重からの脱却
〇〇さんが的確にまとめてくださったように、「豊かさ」の多次元的指標の開発と採用の基本的な理念は、
「GDP(国内総生産)のような経済成長率や物質的生産量に偏重した単一の指標から脱却し、国民や地域社会の真のウェルビーイング(良好状態)をより包括的かつ正確に捉えるために、幸福度(主観的幸福感)、健康寿命、教育水準、社会的孤立の度合い、環境持続可能性指数、ジェンダー平等指数、ワークライフバランス、コミュニティの活力、文化的多様性、ガバナンスの質といった多様な側面を包含する、よりホリスティック(全体論的)で多次元的な『豊かさ』の指標群を開発し、それらを政策決定の重要な目標として明確に位置づけ、社会の進歩を評価するための新たな羅針盤とする」
というものです。
これは、経済成長が必ずしも人々の幸福や社会の質の向上に直結しない、むしろ環境破壊や格差拡大、精神的ストレスの増大といった負の側面を伴う場合がある、という現代社会の経験(いわゆる「成長の限界」や「幸福のパラドックス」)に対する、深刻な反省から生まれてきた考え方です。
2. なぜGDPは「豊かさ」の万能な指標ではないのか:その限界性
GDPは、一国で一定期間内に生産されたモノやサービスの付加価値の総額を示す指標であり、経済規模や経済成長を測る上で重要な役割を果たしてきました。しかし、社会全体の真の「豊かさ」や「進歩」を測る指標としては、以下のような多くの限界を抱えています。
「量」のみを測り「質」を問わない: GDPは生産されたモノやサービスの「量」を金額で集計しますが、その「質」や社会への貢献度、倫理性を問いません。例えば、環境汚染を引き起こす産業活動も、事故や災害後の復旧作業も、あるいは兵器の製造もGDPを増加させますが、それが必ずしも人々の幸福や社会の質の向上に繋がるとは限りません。
非市場的価値の無視: 前のセクションで論じたケア労働(育児、介護、家事)、ボランティア活動、自然資本が提供する生態系サービス(清浄な空気や水、気候調整機能など)といった、市場で金銭取引されない多くの重要な価値はGDPに計上されません。
分配の不平等を隠蔽: GDPは国全体の経済規模を示すだけで、その富が社会の中でどのように分配されているのか、格差が拡大しているのか縮小しているのか、といった情報を提供しません。
「コスト」を「便益」として計上する矛盾: 例えば、犯罪が増加すれば警察官や刑務所の経費が増えGDPは増加しますし、大気汚染が悪化すれば医療費が増えGDPは増加します。これらは本来、社会的な「コスト」あるいは「マイナス要因」であるにもかかわらず、GDP上は「プラス」としてカウントされてしまうのです。
持続可能性への無配慮: GDPは、将来世代の資源を収奪したり、環境を破壊したりするような短期的な経済活動もプラスに評価し、社会の長期的な持続可能性に対する配慮を欠いています。
3. 「豊かさ」の多次元的指標と私たちの価値観との深い共鳴
このようなGDP偏重の限界を克服し、よりホリスティックで多次元的な「豊かさ」の指標を開発し採用することは、私たちの「循環する生態系パラダイム」と「存在と経験の価値観」と深く響き合います。
「存在と経験の価値観」の反映(第6章 全体):
多次元的指標は、物質的な生産性だけでなく、**人々の主観的な幸福感、健康、学びの機会、良好な人間関係、精神的な充足感、そして「経験の質」**といった、人間存在の多様な側面を「豊かさ」の構成要素として重視します。これは、私たちの価値観が「機能」ではなく「存在そのもの」や「経験の豊かさ」に価値を見出す姿勢と完全に一致します。「循環する生態系パラダイム」の具現化(第5章 全体):
環境持続可能性指数、生物多様性の保全状況、資源の循環利用率といった指標を「豊かさ」の重要な要素として組み込むことは、人間社会を地球生態系の不可分な一部として捉え、その健全性と調和を経済社会運営の基本原則とする私たちのパラダイムを具体化するものです。「響き合い」「共感」「関係性の豊かさ」の重視(第8章8.1 西洋的自我と東洋的無我の弁証法的超克):
社会的孤立の度合い、コミュニティの活力、社会参加の機会、信頼関係の度合いといった指標は、人間が孤立した存在ではなく、他者との「響き合い」や「共感」に満ちた関係性の中でこそ真の豊かさを実感できるという私たちの認識を反映しています。「公正な関係性」と「多様性の尊重」(第7章7.3 地球規模の循環と地域生態系の動的平衡を両立させる叡智):
ジェンダー平等指数、所得格差の是正度、機会の均等といった指標は、社会における「公正な関係性」の実現と、多様な人々がその可能性を最大限に発揮できる包摂的な社会を「豊かさ」の重要な側面として捉える私たちの価値観に基づいています。「ラディカルな内発性」と市民参加(第6章6.1 価値の源泉の転換):
どのような指標を重視し、どのような社会を目指すのかという議論のプロセスそのものに、市民が主体的に参加し、多様な声が反映されることが重要です。これは、トップダウンの目標設定ではなく、市民の「ラディカルな内発性」に基づくボトムアップの価値創造を促すことにも繋がります。
4. 具体的な多次元的指標の例と政策目標への採用
〇〇さんが挙げてくださったように、既にいくつかの多次元的指標が国際的に提案・活用されています。
ブータンのGNH(Gross National Happiness:国民総幸福量): 経済成長だけでなく、公正で持続可能な社会経済開発、環境保護、文化振興、良い統治という4つの柱と9つの領域(心理的幸福、健康、教育、文化の多様性、コミュニティの活力、環境、時間利用、良い統治、生活水準)から構成される、先駆的な取り組みです。
OECDの「より良い暮らし指標(Better Life Index)」: 住宅、所得、雇用、コミュニティ、教育、環境、市民参加、健康、生活満足度、安全、ワークライフバランスという11の分野に関する指標を国別に比較可能にしたものです。
「真の進歩指標(GPI:Genuine Progress Indicator)」: GDPが無視する、あるいは誤ってプラスに計上する要素(家事労働やボランティア活動の価値、環境汚染や資源枯渇のコスト、犯罪や格差による社会的コストなど)を考慮して、より実質的な国民の厚生水準を示そうとする指標です。
持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals): 貧困、飢餓、健康、教育、ジェンダー平等、クリーンエネルギー、気候変動など17のグローバル目標と169のターゲットからなり、経済・社会・環境の三側面を統合的に捉えようとする国際的な枠組みです。
これらの指標、あるいはこれらを発展させた新たな指標群を開発し、それらを単なる参考データとしてではなく、国家や地域、あるいは企業の政策決定や事業評価における具体的な「目標」や「KPI(重要業績評価指標)」として明確に位置づけることが重要です。例えば、政府が予算編成を行う際に、GDP成長率だけでなく、GNHやGPIの向上、あるいは特定の社会指標(健康寿命の延伸、社会的孤立の低減など)の達成度を重要な判断基準とする、といったことが考えられます。
5. 横浜における「豊かさ」の再定義:市民と共に創る未来
ここ横浜においても、経済的な発展を追求しつつも、それだけではない「豊かさ」を求める声が高まっています。美しい港の景観、歴史的な建造物、多様な文化施設、緑豊かな公園、そして活発な市民活動――これらはGDPには直接反映されにくいかもしれませんが、横浜市民の生活の質と都市の魅力を構成する重要な要素です。
横浜市が、市民や多様なステークホルダーとの対話を通じて、独自の「横浜ウェルビーイング指標」のようなものを策定し、それを市政運営の中心的な目標として掲げることは、まさに「存在価値経済」の理念を地域レベルで実践する試みとなりうるでしょう。それは、経済成長だけでなく、市民一人ひとりの幸福感、健康、学び、繋がり、そしてこの街の美しい自然と文化が持続可能な形で次世代に引き継がれることを、真の「豊かさ」として追求する姿勢の表明です。
結論:「豊かさ」の羅針盤を転換し、真に価値ある未来へ
「『豊かさ』の多次元的指標の開発と政策目標への採用」は、「存在価値経済」への移行を促すための、極めて強力なドライバーです。それは、私たちが社会として何を本当に大切にし、どのような未来を目指すのかという、価値観そのものを問い直し、新たな羅針盤を手にすることを意味します。
GDPという単一の、そしてしばしば誤解を招く指標に社会全体が囚われ続ける限り、私たちは環境破壊や格差拡大、精神的空虚さといった「成長の罠」から抜け出すことはできません。しかし、よりホリスティックで人間的な「豊かさ」の指標を共有し、それを共通の目標として政策や個人の選択が方向づけられるならば、私たちは、経済的な効率性だけでなく、人間の尊厳、社会的な公正、文化的な多様性、そして地球生態系の健全性が調和した、真に豊かで持続可能な社会を築いていくことができるはずです。
この転換は、単に専門家や政府だけの仕事ではありません。私たち市民一人ひとりが、自らの生活の中で「何が本当の豊かさなのか」を問い直し、その価値観を表明し、社会全体の意識変革に参加していくことが求められています。それこそが、「循環する生態系」の一員としての私たちの責任であり、また喜びでもあるのです。
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