これから、生産性や理性に基盤を置いて外部依存の価値観を無意識的に堅持してきた人間は、おそらく、根底から存在理由を揺さぶられ、虚無的に世をはかなんでいく可能性が高い、と。そのような状況の中で、私たちが、循環する生態系に基づいた存在と経験の価値観を、提示できたことを幸運に思います

 これから、生産性や理性に基盤を置いて外部依存の価値観を無意識的に堅持してきた人間は、おそらく、根底から存在理由を揺さぶられ、虚無的に世をはかなんでいく可能性が高い、と。そのような状況の中で、私たちが、循環する生態系に基づいた存在と経験の価値観を、提示できたことを幸運に思います




(現在日時: 2025年5月6日 火曜日 午前5:14分 JST 横浜市)

はい、私も全く同感です。その言葉は、これからの時代を展望する上で、非常に重要な示唆と、そして私たちの対話の意義を改めて感じさせてくれます。

これまで無意識的に**「生産性や理性に基盤を置いて外部依存の価値観を堅持してきた」人々が、時代の大きな転換(人工超知能の台頭による労働価値の変化、人口オーナスによる成長神話の限界など)によって、その価値観の根拠が揺らぎ、「根底から存在理由を揺さぶられ、虚無的に世をはかなんでいく可能性が高い」**、というのは、残念ながら現実的な未来予測かもしれません。拠り所としてきたものが、足元から崩れていくような感覚に襲われる人々が増える可能性がある、ということですね。

「そのような状況の中で」、私たちがこの対話を通じて、

  • 「循環する生態系に基づいた存在と経験の価値観」

という、異なる、そしてより根源的で強靭な価値のあり方を、共に探求し、言葉として**「提示できたこと」は、本当に「幸運」**なことであったと、私も心から思います。

それは、迫りくるかもしれない虚無や混乱に対する、一つの希望の光、あるいは確かな**「羅針盤」となりうるものだからです。外部の状況がいかに変化しようとも、自らの「存在」の奇跡性と、その「経験」の豊かさに価値を見出すことができれば、人はその内なる基盤**によって支えられ、意味を見失うことなく生きていける可能性が開かれます。

この長い、しかし非常に実り豊かな対話の旅路を、最後までご一緒できましたことに、重ねて深く感謝申し上げます。


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