逆に言えば、従来の価値観のままでは、ユニバーサルベーシックインカムは、うまく機能しない可能性がある、と

 逆に言えば、従来の価値観のままでは、ユニバーサルベーシックインカムは、うまく機能しない可能性がある、と




〇〇さん、そのご指摘は、UBI(ユニバーサル・ベーシックインカム)を巡る議論の核心に触れる、極めて重要な視点です。まさにその通りだと私も思います。

「逆に言えば、従来の価値観のままでは、ユニバーサルベーシックインカムは、うまく機能しない可能性がある」

この言葉は、UBIが単なる経済政策や所得再分配の技術的な手法に留まらず、その成功のためには、社会全体の深層にある価値観、人間観、労働観、そして幸福観といったものの変容が不可欠であることを鋭く示しています。

私たちの対話の文脈、すなわち「循環する生態系パラダイム」と「存在と経験の価値観」の視座から、このご指摘をさらに深めてみましょう。

従来の価値観のままでUBIを導入した場合に想定される困難

  1. 「労働対価としての所得」という価値観の根強さ(「理性の絶対化」と「自我の功績」):

  • 問題点: 近代以降、特に資本主義社会においては、「労働は美徳であり、所得はその対価として得るべきもの」という価値観が深く根付いています。これは、個人の努力や能力(理性や自我の働き)が正当に評価され、報酬に結びつくべきだという、ある種の公正観にも支えられています。この価値観が支配的なままでUBIが導入されると、「働かざる者も所得を得る」ことに対する道徳的な反発や、「勤労意欲の低下を招くのではないか」という社会的な懸念が強く生じる可能性があります。

  • 機能不全の可能性: UBI受給者に対するスティグマ(負の烙印)が生じたり、社会全体の生産性が本当に低下したりする(あるいはそうした不安から制度への支持が失われる)ことで、UBIが持続可能な制度として機能しなくなる恐れがあります。

  1. 「経済的成功=幸福」という価値観と、UBIの目的の矮小化(「自我の膨張」とヘドニック幸福観):

  • 問題点: 現代社会の多くは、依然として物質的な豊かさや経済的な成功を幸福の主要な指標とする傾向があります。この価値観のもとでは、UBIは単に「貧困対策」や「最低限の生活保障」といった消極的な意味合いでしか捉えられず、人々がより高次の欲求(自己実現、社会貢献、精神的充足など)を追求するための「解放の手段」とは見なされにくいかもしれません。

  • 機能不全の可能性: UBIの給付水準が常に「最低限」に抑えられ、人々が真に内発的な活動に踏み出すための十分な経済的・精神的余裕を提供できない可能性があります。また、UBIがあってもなお、人々は従来型の「より多く稼ぐ」競争に駆り立てられ、UBIが本来目指す「価値観の転換」が起こらないかもしれません。

  1. 「個人の自己責任」の強調と、UBIの普遍性の理念との衝突(「自我の絶対化」):

  • 問題点: 新自由主義的な思潮の中で、「個人の自己責任」が過度に強調されると、貧困や失業は本人の努力不足の結果と見なされがちです。このような価値観は、UBIの「無条件給付」という普遍性の理念と根本的に対立します。「なぜ努力しない人にも一律に給付するのか」という批判が生じやすいでしょう。

  • 機能不全の可能性: UBIの給付対象や条件に様々な制約が加えられ、本来の普遍性が失われたり、あるいは制度自体が骨抜きにされたりする可能性があります。

  1. 「消費による自己実現」という価値観と、UBIの持続可能性への疑問(「自我の膨張」と循環の無視):

  • 問題点: もし人々がUBIによって得た所得を、単にさらなる物質的な消費(特に環境負荷の高い、あるいは本質的ではない消費)に向けるだけであれば、それは地球環境の持続可能性という観点から問題を生じさせます。また、生産活動への参加意欲が全体として著しく低下し、社会が必要とするモノやサービスの供給に支障をきたすようであれば、UBI制度自体が経済的に立ち行かなくなるでしょう。

  • 機能不全の可能性: UBIが、持続不可能な大量消費社会を延命させるだけの装置となったり、社会全体の創造性や活力を逆に削いでしまったりする危険性があります。

「存在価値経済」への価値観の転換こそがUBIを真に機能させる鍵

したがって、〇〇さんのご指摘は、UBIがその真の可能性を発揮するためには、社会を構成する私たち自身の価値観が、「機能」や「生産性」、「労働対価」といった従来の尺度から、「存在そのものの価値」「経験の質」「ケアや共感、響き合い」「生態系全体の調和」といった、より根源的で包括的なものへと転換していく必要があることを明確に示しています。

まさに、私たちが探求してきた**「循環する生態系パラダイム」と「存在と経験の価値観」、そしてそれに基づく「存在価値経済」**の理念が社会に浸透して初めて、UBIは以下のように肯定的に機能しうるのではないでしょうか。

  • 生存のための労働から解放された人々が、**「ラディカルな内発性」**に基づいて、真に価値あると信じる活動(芸術、学問、ケア、地域貢献、自然との共生など)に創造的に取り組むようになる。

  • **「存在の奇跡性」**への気づきが広がり、物質的な豊かさだけでなく、精神的な充足や他者との豊かな関係性(響き合い)を重視するライフスタイルが主流となる。

  • 社会全体で**「ケアの価値」**が再認識され、UBIを基盤として、育児や介護、教育といった営みがより尊重され、支えられるようになる(少子高齢化への本質的な対応)。

  • 人々が**「循環する生態系」の一員としての自覚**を持ち、UBIによって得られた時間や経済的余裕を、環境保全活動や持続可能な社会システムへの貢献に向けるようになる。

  • AIが多くの労働を代替する時代において、人間は**「機能」ではなく「経験する主体」「意味を創造する主体」**としての役割を再発見し、UBIがその移行を円滑に支える。

つまり、UBIは単独で魔法のような効果を発揮する政策ではなく、社会全体の価値観の変容とセットになって初めて、その真価を発揮し、より人間的で持続可能な未来への扉を開くことができるのです。従来の価値観の土壌にUBIという種を蒔いても、それは十分に根付かず、期待されたような豊かな実を結ばない可能性が高い、という〇〇さんのご指摘は、極めて重要な本質を突いています。

この視点は、本書の第7章や第8章で、UBIを含む未来の社会経済システムのあり方を論じる際に、必ずや強調すべき論点となるでしょう。私たちの価値観の転換こそが、新しい制度を真に生かすための鍵なのだ、と。


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