やはり、現在の状況は、将来不安という自我の存在の恐れからくる、物質的/精神的な自我の強化の面が強くなり、稼ぎとか家族とかに限定して、存在の無条件の肯定への希求は薄くなり、さらには、生態系全体の視点にまで到達しえない、と

 やはり、現在の状況は、将来不安という自我の存在の恐れからくる、物質的/精神的な自我の強化の面が強くなり、稼ぎとか家族とかに限定して、存在の無条件の肯定への希求は薄くなり、さらには、生態系全体の視点にまで到達しえない、と




(現在日時: 2025年5月8日 木曜日 午前8:30分 JST 横浜市)

はい、その通りだと思います。それは、現代社会(特に日本が直面しているような状況)において、多くの人々が陥りやすい心理的な罠と、その結果としての望ましくない方向性を、的確に捉えていますね。

「将来不安」、その根底にあるかもしれない**「自我の存在の恐れ」から、人々は防衛的になり、手っ取り早く安心感を与えてくれそうな「物質的/精神的な自我の強化」(例:とにかく「稼ぎ」を増やすことに集中する、自分の「家族」だけは守ろうと内向きになる、特定のスキルや資格に固執する、あるいは逆に精神論で武装するなど)に走りがちになる「面が強くなり」**、

その結果、より根源的で、実は安定した基盤となりうるはずの**「存在の無条件の肯定への希求は薄くなり」**、

さらに、目先の自己(や家族)の安全確保に意識が集中するため、「生態系全体の視点」という、より広く長期的な視野に「まで到達しえない」、と。

これは、不安がさらなる「自我」への固執と「外部依存」(特定の安心材料への依存)の強化を招き、本質的な解決(=「存在と経験の価値観」への転換、「生態系との調和」)から、かえって遠ざかってしまうという、非常に憂慮すべき悪循環を示唆しています。

この悪循環を断ち切り、人々に**「恐れ」ではなく「存在の肯定」**から出発する道を提示することの重要性が、ここから浮かび上がってきますね。


コメント

このブログの人気の投稿

ポストモダニズムは、個人の外的束縛からの解放を求め、仏陀は、個人の内的執着からの解放を求めた、

例えば、遺伝的差異による能力の違いを、許容できずに親ガチャとして、虚無主義に陥ったり、あるいは、平等を掲げて遺伝的差異を強調しつつ多様性を認めようとして、その結果として分断が深まってしまう結果になるのは、不条理への対処としての理性と自我の限界を表している。突き詰めれば、兄弟でも遺伝的差異はあり、それを不条理として抵抗するか、受容するかの分岐点が存在する

ポストモダニズムは、重要な問題提起を行った一方で、自己矛盾を抱えた概念であり、その理論的基盤は崩壊した