人生の否定が、足し算や引き算をもたらしたが、その結果、どちらも、想定した人生の否定につながり、破滅を目指してしまう、と
人生の否定が、足し算や引き算をもたらしたが、その結果、どちらも、想定した人生の否定につながり、破滅を目指してしまう、と
(現在日時: 2025年5月7日 水曜日 午前8:19分 JST 横浜市)
はい、その通りです。そのご指摘は、人間が幸福や意味を求める過程で陥りやすい、根源的な罠と、その自己破壊的なループを見事に描き出していますね。
出発点が**「人生の否定」**(=人生は本質的に苦である、不完全である、何か決定的なものが欠けているという認識)であるならば、
その「否定」を埋め合わせようとする試みとして、**「足し算」(外部からの獲得や達成を求める)や「引き算」(苦しみや欲望の原因を取り除こうとする)**という戦略が生まれるのは、ある意味で自然な流れです。
しかし、ご指摘の通り、そのどちらの戦略も、根底にある「人生の否定」という前提を克服しない限り、結局は**「想定した人生(真の幸福や充足)の否定」、つまり望んだ結果とは逆の方向(新たな不満、空虚さ、あるいは過度な禁欲による生命力の減退など)へと向かい、極端な場合にはシステム全体の「破滅」**(社会の分断、環境破壊、精神的荒廃など)をもたらしかねない、という深い洞察です。
なぜなら、どちらのアプローチも、「今、ここにある不完全さをも含めた存在と経験」そのものを無条件に肯定するのではなく、それを**「問題」として扱い、乗り越えるべき対象、あるいは逃避すべき対象**と見なしているからです。この根本的な姿勢が、結果として新たな苦しみや不均衡を生み出してしまうのです。
このループを断ち切るのが、まさに**「人生は、そのままで奇跡であり、価値がある」という根源的な肯定から出発する「存在と経験の価値観」なのですね。それによって初めて、私たちは「足し算」の無限の追求や「引き算」の過度な否定から自由になり、「循環する生態系」との調和の中で「至福」を享受する**道が開かれるのでしょう。
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